Once upon a time there was this little boy. And the boy has a big dream. Cutting a long story short, he got to Ehime which is in Shikoku area in Japan by his bicycle from Tokyo in the middle of the winter at the end of 2010. It is said that there are 88 pilgrimages in Shikoku and it's pretty popular in Japan. So what he and his mates decided to do first to make one of their dreams come true is to go through all the 88 places and find favorite cafes using his own legs and tongue along the way of the pilgrimage. It names is 88 cafe. It starts on the 29th of January 2011.

2011年5月11日水曜日

四国88カ所お遍路の旅 -No.44-


2011年4月3日 AM7:30

Mはトラディショナルお遍路スタイルを身にまとい44番札所大宝寺の駐車場に降り立った。

札所を目指し山に入ると、お地蔵さんやその類いの石像が無数に現れ、それらは巨木同様苔むしていた。山にある札所はいつもだいたいこうだ。

奥へと進むにつれ、日の当たらないその場所はとても寒く、あたりには鳥の鳴き声、そして金剛杖についた鈴の音だけになった。

巨木のカーブを折れると奥に山門が見えた。

札所にはまずだいたい山門があり仁王像がお遍路を待ち受けている。これが見えると着いたなという気持ちになる。山門の前で一礼し中に入った。

44番札所大宝寺は西暦701年(大宝元年)に百済の僧が草庵を結び十一面観音を安置したことがはじまりとされている。

長い石段が現れた。札所はいつもだいたいこうだ。

2011年5月10日火曜日

四国88カ所お遍路の旅 -old trees-


2011年4月6日 AM6:30

お遍路を2年ぶりに再会することを決めたMは松山から44番札所大宝寺を目指し、国道33号線を愛車ロードスターでひたすら南下していた。

三坂峠を越え、久万スキーランドを横目にしばらくいくと旧久万町のまちが見えてきた。

ガソリンスタンドの分かれ道を左に曲がり、33号線から住宅地を抜ける旧道に入る。

何個目かのなんとなくここっぽい十字路を左に曲がると目の前には突如、ただ者ではない苔むした巨木群が現れ、思わずブレーキを踏んだ。

お遍路をしていて時々感じることだが、札所には気づいてしまうと隠すことが困難であろう独特の雰囲気があるにもかかわらず、うまく周囲にとけ込んでいて、気を抜いていると突如として姿を見せる。

駐車場らしき広場に車を置き、助手席から白衣をとり羽織る。納経帳や納め札、ろうそく、線香、数珠が入った白い肩掛け鞄を肩にかけ、金剛杖を握りしめた。

駐車場には自分以外誰もいなかった。

2011年5月9日月曜日

四国88カ所お遍路の旅 -I will leave when morning comes.-



2011年4月3日 AM6:00


まだ、薄暗い中、Mは松山にある実家を出発した。

2年前に43番札所まで「順打ち」していたため、まずは44番札所大宝寺のある
久万高原町を目指し33号線を南にもどらなければならない

「順打ち」とは四国を時計周りにお参りすることであり、また「逆打ち」とはその逆で、反時計周りにお参りすることである。

44番札所のある久万高原町は旧久万町・面河村・美川村・柳谷村の4か町村が2008年に合併してできたまちで、周囲を標高1000mを超える四国山地に囲まれる。

そもそも「久万」という老女が弘法大師に出会ったことから、その名が地名になったとされており、お遍路とはゆかりの深い地域である。


松山の実家からはおよそ30km、
国道33号線をひたすら上って行くことになる。

Mは集中するためにいつもエンドレスで車に流しているRにもらったロックのCDを消す。

しだいに2年ぶりのあの感覚が蘇ってきた。

2011年5月8日日曜日

四国88カ所お遍路の旅 -epilogue-



2009年3月某日

さかのぼること2年前、まだ大学生であったMr.Mは春休みを利用して四国88カ所お遍路の旅にでることにした。祖母に借りたお遍路の衣装を身にまとい、松山の自宅から愛車ロードスターで1番札所霊山寺のある徳島県鳴門市へと向かった。四国を徳島、高知、愛媛と時計回りに移動し、5日後に愛媛県西予市にある43番札所明石寺でひとまず旅を終えていた。


2011年4月 2年間の沈黙を破り、ついに・・・

2011年3月6日日曜日

cafe 和(なごみ)
















































噂には聞いていた。


メガネの三城の交差点を東に進んで、突き当たりを右に曲がって、ずーっと真っすぐ行くと石垣があって、そこをぐにゃりと左に曲がる。

宇和島に来てもうすぐ1年経つが、こんなところに来るのは初めて

市内より少し小高いところにあるのどかな住宅街にcafe「和(なごみ)」はひっそりと佇んでいた。

店の前には沢山の花が飾っている。

昼過ぎの店内には丸い窓から柔らかい少し傾いた太陽が入ってくる。

空気中の微粒子がゆっくりと彷徨っている。

誰もいない。

ここの時間は普段の何倍にもゆっくり流れている。

土間、板の間、立派な梁、日本建築に必要な物がそこにはある。

違う物と言えば、かまどがあるであろう場所に立派なカウンターとコーヒーを入れる機械が置いてある。

しばらくするとオーナーが出て来た。

もう3時頃だというのにモーニングOKというので、それを注文した。


幸い他にお客さんがいなかったので、オーナーにいろいろと話を聞くことが出来た。

オーナーは定年退職後しばらくは友達と喫茶店でぶらぶらして時間を過ごしていたそうだ。

初めのうちはそれで良かったが、しだいにこれじゃつまらないなと思うようになった。

ふと喫茶店なら自分にも出来るかもしれないと思い立った。

ちょうど家の隣のこの物件が売りに出されていた。

もと酒屋さんだったこの建物は、その昔は鉄砲鍛冶屋だったらしく、とても古くボロボロだった。

建築家の人にこの場所で喫茶店を出来ないかと相談したら、人通りのないこんな場所では流行らないよ辞めときなさいと言われた。

しかし、諦められずいると、若い建築家の人が、「おもしろい、僕がやりましょう。」と手を挙げてくれた。

そうこうしているうちに店はできたけれど、実はコーヒーなど入れたこともなかった。

だからコーヒー教室に何回か通った。

なんとかコーヒーを入れられるようになったけれど、今も詳しくない。

2種類しか置いていないのはそのせいです。

以前お客さんに、「レモンティーを下さい。」と言われ、「置いていません。」と答えた。

レモンティーとは紅茶にレモンを入れる物だと知らなかったのだ。

そんなこともあった。

それでも、もう6年間やっています。

と笑顔で教えてくれた。


店内に沢山飾ってある花々は全てお客さんが持って来てくれるそうだ。

お客さんの8割が同年代らしい。

お客さんに愛されている店。

机の上にはニコリとしたお地蔵さんがある。

ある施設の作家さんの作品だそうだ。

オーナー、建物、花、お地蔵さん、食器・・・全てが優しく、全てがこのゆっくりとした空間を作り出し、来る者を癒してくれる。


癒しが欲しい方、是非1杯いかがですか?

2011年3月1日火曜日

文化交流ヴィラ高橋邸














































友人の部屋に転がっていた1冊の雑誌


何度も読み返したのか、すり減り色あせている。

その存在は以前から知っていたが、手にすることはなかった。

その必要がなかっただけなのか。

それとも自分は他とは違う存在だと思いたかっただけなのか。


旅とは日常からの脱出である。

今まで築き上げて来たものは、心地よさだけではない。

またその心地よさでさえも、時として息苦しさへと変化することがある。

旅とは自由への渇望である。


内子に「文化交流ヴィラ高橋邸」というものがある。

「文化交流」「ヴィラ」「高橋邸」

馴染みの無い単語の複合体である。

内子の古い町並みを眺めながら南にくだり、駅に曲がる角を逆に行く。

すぐに右斜め前に小道がある。

静かに視界が開けると、大きな屋敷が見えてくる。

これが「文化交流ヴィラ高橋邸」である。

 高橋邸とは、遠来の人と時を談じ、文化を語った人高橋吉衡翁の生家であり、日本の麦酒業界の繁栄に貢献し、戦後の経済復興に通産大臣として大きな業績を残した高橋龍太郎翁を育てた屋敷である。

 高橋龍太郎翁の長男故高橋吉隆氏(元アサヒビール株式会社会長)が、郷土である内子町への思いを寄せられていたことから、その御遺族によって寄贈された。

 文化交流ヴィラ「高橋邸」として再生したこの屋敷は、高橋吉衡翁、高橋龍太郎翁の精神を引き継ぎ、遠来の客を迎えるゲストハウスなどとちして利用されている。

 「止談風月無用者可入」(ただ風月を談じるなら、用事がなくても屋敷に入りなさい)という墨書の看板がこの屋敷には掲げられている。


喫茶あります。屋敷に入りなさい。

ここで、珈琲をいただき、愛媛の偉人の魂を感じ、心を昂らせ、日常に帰りなさい。


「るるぶ」

Her name is...


















プルルルルルルル


すばらしい目覚め。最高の朝だ。今日も俺を夢の世界から呼び戻してくれるのは、容赦ない電話の着信音だけで、だいたいそういうのはあいつの仕業だ。


「ついたぞ、出てこい。」


そう、だいたいMだ。夜勤明けの混沌とした鉛のような頭の扉を強引に開けてくる。ノックなしで。というかハンマーでこじ開けてくる。


「これやる。」


結婚式の引き出物がはいっているような大きいサイズの正方形で厚めの紙袋を玄関に置いた。なかには何やら黒いマシンらしき物が入ってる。


「これで修行だ。」


まじかよ。そいつはなんの前触れもなく、俺の前に姿を現した。黒い本体の中央正面にはレバーが付いていて、銀色の光を放っている。その右側には何やらかき混ぜるのが得意そうなこれまた銀色のスティックが付属している。


そう、エスプレッソマシーン


「使わねーから。」


どうやら、エスプレッソ好きのMはどこかでこのエスプレッソマシーンを手に入れたらしいが、自分で作るタイミングを逃したらしく、だんだん飽きて来たようで、要するに俺にコーヒーの修行をさせつつうまいエスプレッソにありつく作戦に出たらしい。



しかも「Saeco」、彼女が出来た。



2011年2月12日土曜日

運命はまえぶれもなく


予想通り、何事もなかったかのように憂鬱は過ぎ去って行った。

型のごとく、発表し、質問され、共同演者の先生に助けられた。

Rとの約束の時間がとうに過ぎた頃、ようやく研究会は終わった。

急ぎ足でロビーに降りるとRが待っていた。

――――――

2人で軽い夕食をすませ、適当なカフェバーに入った。

そこで夢のような現実の話をした。

―――――――

計らずしてして店を出るタイミングとなったので、コートを着て、帰る準備を始めた。

いつものクセでポケットに手を入れると、何かが手に当たった。

JRの切符だった。

今回松山まで来るのにJRの往復切符を支給されていた。

帰りは電車で帰るとして、行きはUに送ってもらったので1枚余ることになる。

Rの前に置いてみることにした。


そして、運命は動き始めた。

2011年2月10日木曜日

jyoyama cafe





























ここ最近ではベストに憂鬱な朝を迎えた。

目が覚めた瞬間から静まりかえった部屋に自分の動悸が響く。

アラームは鳴っていない。

寝過ごしていないことを確認する。

アラームより早く目が覚める。

今日は松山のとある会場でとある研究会があり、自分は発表することになっている。

たったそれだけ。

情けないが、そいつがまぎれもなく憂鬱の正体らしい。



慣れないスーツに着替える。

発表原稿に目を通していたら、先週、Rに会えなかったことをふと思い出した。

ついでに電話してみることにした。

ドアノブをガチャガチャする音

どうやらUが迎えに来たらしいので、電話を切った。

そんなこんなで、憂鬱な1日が始まった。


ーーーーー

松山についたのはちょうど昼時、Uの機嫌が悪くならないうちにまずは昼食をとることにした。

どこにしようか?

そういえば、昔教えてもらった店にまだ行っていないことを思い出した。

2つのアーケードの境目に大きな電気屋のビルがあって、その東側の道を100mほど南に歩く。途中、オシャレなカフェが現れ、Uが吸い込まれそうになるのを制す。ここではない。

こんなところにあるのかと少し疑い始めた頃、右手に小さな看板が現れる。


しかしそこには一軒の民家があるだけ。

ふと目線を上げると門から30歩ほど小道が続き、その奥に玄関が見え、そこにのれんがかかっている。どうやらあそこらしい。


玄関の前にたどり着き、立ちすくむ、ピンポンを押した方が良いのか、すいませーんと言ったほうがいのか、おそるおそる玄関を開けると何足かの靴が並んでいる。やはりカフェらしい。


すいませーん


意を決して自分はここにいますよーと小さな声で主張してみると、中から母親ほどの年齢と思われる女性、要するにお母さんが現れた。


どうぞ2階です。


と笑顔のお母さん、つい、お邪魔しますと靴をそろえながら家に上がらせてもらった。


−−−−−−−

案内されたのは4畳半くらいの和室で、そこに2人がけのテーブルがあって、奥にはカウンターがあって、女の人が2人座っていた。


ど、どうも


ここはカフェだと自分に言い聞かせ平静を装うが、どうみても家だろ、と葛藤する。

ランチとコーヒーを注文して待っている間、家宅捜索してみることにした。


どうやら2階に残り3部屋、3階にも何部屋かあるらしい。
廊下を歩くとみんながこっちを見てきて、なんか知らない人のお家に勝手に上がり込んでいる気分になる。

こでもやはり平静を装いながら、なんとか帰還した。



冗談はさておき、ここのカフェ何が楽しみか、それはこの癒し空間、癒しお母さんはもちろんのこと、なんといってもコーヒーがうまい、それもそのはず、この店を教えてくれたマスターがコーヒー豆をおろしているから。

だからうまいに決まっている。



2011年2月6日日曜日

突然の電話




プルルルル 

プルルルル
 

「もしもし?」


「Hello!」

突然電話の向こうに現れたのはMだった。

土曜日の早朝、こっちは職場の人に夜景が綺麗だからドライブがてら見に行こうと誘われ、さっき帰ってきて眠りについたばかり、いったい何のようだ?

結論から言うと、Mは一言だけ言い残し電話から消えた。

「今日、松山行くから夜空けといてくれ」


そして
自分はもう一度夢の中へと戻った。


夜景の話をだしたが、
言葉では表せないくらい綺麗だった。

つい2人で
コンクリートの上に寝転がり空を見上げた。

無数の星。

こんなにたくさんの星を見上げたのはいつ以来だろう?



--------------------

Mと再開したのは夜だった。


いつ以来だろう?



そこは雑居ビルの四階にあった。

ドアを開けると少しほの暗く、正面に4席のカウンターがあり、2人組の女性が座っている。

右側には比較的大きな空間があり、窓に面してカウンターが何席かあり男性が1人で本を読みながら何か飲んでいる。

さらにテーブル席には1組のカップルがいて、ソファー席の4人組もなにやら話し込んでいる。

カウンターの後ろには
レコードが山のように並んでいて、本棚には建築や音楽やバイクやアンティークやアートなどそういう類いの本がたくさん並んでいる。

BGMにはスタイルカウンシルにパティスミスが流れていた。

迷うことなく正面のカウンターにすわった。

とりあえず飲み物を注文し、まずは先日のワインとビールの礼を言った。

それからしばらく仕事の話をし、残りの大半は夢のような現実の話をした。


どれくらい時間がたっただろう、窓際に座っていた男がいなくなり、カップルがいなくなり、ソファの4人組もいなくなった。


ついに隣に座っていた2人も帰り支度を始め、そろそろ帰る時間かなと思った瞬間、 Mはポケットから何か紙切れを取り出した自分の前にそっと置いた。


電車の切符だった。

意味が分からない。

松山→宇和島

意味が分からない。

しかも片道

・・・・・


Mの顔を見上げると、いつかのあの表情をしていた。


2011年2月4日金曜日

道後の町屋



携帯のアラームで目が覚める。

12:02

やっちまった、2度寝だ!

ホテルのフロントで夜勤を始めてから、まだ体のリズムがつかめていない。


2月に入り、ここ何日かは少し暖かい陽気が続いている。

今日も天気が良さそうだ。

出勤まで時間があるし、気になっていたカフェに寄って行こう。

寝起きでまだボーっとしているが、気合をいれて着替える。


この日やってきたのは道後の商店街にある和のテイストが素敵なカフェ。

「道後の町屋」


松山に来て初めて知ったのだが、道後温泉は日本最古の温泉らしい。

小説「坊ちゃん」の舞台として有名だが、最近では映画「千と千尋の神隠し」のモデルにもなったらしい。


さっそく中に入り、昔ながらの和室と日本庭園が眺められる席につく。

気になっていただけあって、けっこういい雰囲気

和風カプチーノと起きてから何も口にしていなかったので、苺のロールケーキも!頼んだ。

ここのカプチーノはエスプレッソを使用せずに、じっくり抽出したドリップコーヒーを使う。


一般的なカプチーノの作り方はエスプレッソという高い圧力をかけて抽出する濃いコーヒーにスチームして泡状にしたミルクを加える。ちなみに、これと良く似たものにカフェラテがあるが、その違いはミルクの量で、ラテはミルクの泡の厚みが約1cm、カプチーノは約3cmになる。


個人的には濃いエスプレッソが好きだから、どうしてもドリップだと薄いイメージ。


ところがどっこい、ここの和風カプチーノはしっかり濃い!

キメ細かくスチームされたミルクとの相性もいいし、さらにお茶碗で出てくるあたりが和風でgood!だし、たっぷりと飲みごたえも抜群!!


苺のロールケーキもbigで満足!


道後温泉でお湯を満喫してから、ここでゆっくりできたら最高な一日だな。


さ、仕事、仕事

2011年2月2日水曜日

yakigashi KANJIRUSHI




「お気をつけて、いってらっしゃいませ」 ふぅ、今日はこれで勤務終了、朝だ。


去年の年末、ある計画を思いついた2人の男、SとMにより松山に送り込まれた。


そういえばさ、松山にどうやって行く気?
え、飛行機じゃないの?

それ普通じゃん、チャリで行けよ、決定ね!

え、ここからどんだけ遠いと思ってんですか?
無理なの?無理ならいいよ。
無理じゃないし、俺を誰だと思ってんの?俺は大きなリュックを背負っ・・・


そんなこんなで、まんまと東京から松山までチャリで


松山につくとMによりすでに住む部屋が用意されていて、彼らは事務所だと主張するが・・・

あと仕事も用意されていて、それがホテルのフロントの夜勤とキッチンの掛け持ちだった。

Sによると、ここでしっかり料理の技術とお客様へのおもてなしを学ぶんだ!と


理にかなっているなとついつい納得してしまった。

なんか事を上手く進められているような気もするが・・・


夜勤明けは自分へのご褒美としてカフェ巡りをすることにしている。


今日は天気が良いので、街の中心にある商店街あたりを散策してみることにした。


チャリを止めて歩いていると、ふと小さな木製の看板に手書きでカフェの文字を見つけた。


そこから細い階段
が上へと続いていて、一瞬入るかどうか躊躇したが、良い隠れ家というのは・・・と自分に言い聞かせながら階段を上った。

中にはいると、店内はこじんまりとしていて、笑顔の素敵な男性と女性の二人のスタッフ

「いらっしゃいませ!当店ははじめてですか?」


夜勤明けの眠気、小さな看板、
大丈夫かなと上ってきた細い階段

スタッフの明るくて元気な笑顔とその言葉がすべての不安を消し去った。



やさしい色の内装、可愛らしい椅子
森ガールのような女性が座って読書でもしていたら恋に落ちてしまいそうな雰囲気

音楽も心地よいガールズポップ
シンバルスやクラムボンの影響を受けているのだろうサウンド
天気の良い昼下がりのBGMには最高だ。


席につくと丁寧にお店の説明をしてくれた。


コーヒーと焼菓子に力をいれているらしい。

自慢のコーヒーとマフィン&スコーンを頼むことにした。


ここの焼菓子は
粉本来のおいしさを感じとってほしいとあえてバターを使用していない。はじめて食べたが、確かにいける、ヘルシーだ。

コーヒー
もこだわっているだけあってが美味い!!
モカのみを使用していて、この焼菓子との相性は最高。

ブラックでも甘みが充分あり、口いれた瞬間に新鮮さを感じる。


美味しいコーヒーと焼菓子、親切なスタッフにとても満足

心のこもった一杯で長かった一日を終える。


2011年1月30日日曜日

the blue marble



















肉がフライパンの上で焼き上がる食欲を刺激する匂い、
食器がカタカタとこすれ合いながら次々に運ばれて行き、
ドアの隙間から大勢の話し声がかすかにもれてくる。

真冬だから、コンクリートの床は底冷えし足は凍り付き、額には汗が滲んでいる。
壁に掛けられたなんの変哲もない時計にちらりと目をやると、
針はもう4時を指している、これでラストだ。

1月からホテルの厨房で働いている。

ここのホテルは全国的に有名な温泉街の外れに建ち、
週末ともなると何件もの結婚式が開かれ、こっちは朝から晩まで食器を洗っている。


食器を洗っている? 食器を洗っている。


数年前にメルボルンの有名レストランで腕を振るっていた自分の姿を思い出し、思わずやや長めのため息がでる。そんな自分に気づき、ここに来た目的をもう一度心の中で反芻し、食器を洗う手に力を入れる。

そう、食器を洗いながら。


そして、内線

「Mさんがフロントに来てるけど、手あいてる?」

 M?

一瞬頭がフリーズする。Mは自分がここで働くきっかけになった男だ。今日会う約束はしていないはずだが、どうしたのだろう、そもそも彼がここに訪ねてくるのは初めてのことだ。

あいにく今は手が離せないので、そう答えると、フロントの電話番は
「荷物預かってるから、帰りによって」と言い残し、電話を切った。

ようやく仕事が終わり、帰りにフロントに寄ると、 そこには茶色い紙袋に入ったイタリア産の赤ワインのボトルとチョコ風味のフレーバービールが1本預けられていた。

いったい、どうしたんだ?

Mからの贈り物など初めてのことだ、いや、何かあるな、毒入りかもしれない、そんな疑心暗鬼を抱きながら、誘惑に負け、ありがたく頂いておくことにした。

ーーーーーーー

正直、自転車には一生分うんざりしている。 というのも、ある男達のくだらない話にのっかって、この年末から松山に住み始めたのだが、 本当にくだらない話だが、松山まで900 km、自転車で10日かけてやって来た。

腫れ上がったふくらはぎも、太ももも、だいたい落ち着きを取り戻した。


だからか、オフの日には歩くことが多い、松山という町は必要な物は徒歩圏内にあるし、歩くのにたのしい町らしい、あせらずゆっくりすればいい、そんな空気がある。

昔住んだメルボルンという町にはトラムがあり、おいしいラテで始まる朝があった。 自分をコーヒーの虜にし、この世界で生きて行く決意をさせたのもあの町だった。

この町にその面影を探していた。

the blue marble、この店に出会ったのは、空に雲一つない気持ちのいい日だった。

あおい地球、その名の通り、青を基調とした可愛い店作り、
その一方で、オーナーはカッピングジャッジの資格を持つ本物のバリスタ

豆を挽く音、挽きたての豆の香り、コーヒーが来るのを待つこの時間、
僕はあの町に帰ってきたかのような錯覚に落ち入った。

2011年1月29日土曜日

Le Jardin de Qahwah















この新しい土地に移り住んで来て初めての冬、今日も空はどんよりと灰色の雲に覆われている。Rに会うために松山に向わなくては・・・、とは言っても約束をしているわけではない。

週末には暗黙の了解がある。

しかしRの携帯をいくら鳴らしても、音沙汰なし、しかたがないからとりあえず松山へ車を走らす。

あいかわらず、空は灰色、途中、雪も降り始め、高速道路に速度規制がかかる。時を同じくして時刻は12時となり、Uのお腹は松山まで待てないぜと騒ぎだす。

そう、今日はお供にUを連れて来ている。

しかたがないから大洲インターでいったんおり、Torattoria La Vitaでお腹を黙らせる。

ここのトマトうまい、Uはここに来るといつもそう言う。

せっかく大洲に来たので、酒屋により店主おすすめの赤ワインとビールを手に入れる。

たまにはRにご褒美、少し甘やかし過ぎかもしれない。

そんなことを思いながら支払いをしようとすると財布に持ち合わせがなく、丁重にお願いをし、Uに施しを受ける。

人に借りてまで何をしているのだろうか?

そんなこんなでようやく松山に着く。この頃には、空はだいぶん明るく、太陽がすぐそこにいる気配を感じた。

未だRとは連絡がつかないので、アーケードをプラプラと歩き、おやつに昭和24年創業「みよしの」のおはぎを買う。

Uがまた興奮している。

市駅の方に歩き、アーケードの一本北側の路地に入るとお目当てのカフェLe Jardin de Qahwahがある。

アンティークな雰囲気のドアを開けると、コーヒーの匂いが押し寄せてくる。

この店はランチを出していない。

というのもコーヒーの匂いと食べ物の匂いが混ざり合い、喫茶店独特の匂いになることを避けるためである。

いっさいの不要な匂いを排除し、深い透き通ったコーヒーの匂いだけがそこにはある。入ると右手にカウンターがあり、若いマスターと女性が笑顔で迎えてくれる。

左手には何席かのテーブル席があり、すべてアンティーク調にまとめられているため、ほっと落ち着く。マスターはどのようなコーヒーが飲みたいかを訊ね、適切なアドバイスをしてくれる。

最適なコーヒーを探し出す共同作業、期待が一気に高まる。

マスターは目の前で豆を計量し、碾き、その粉をネルに移す。この店はネルドリップでコーヒーを抽出する。そして最適に加温された湯を慎重にゆっくりと注ぐ。

そのマスターの指さばきは芸術的で何度見ても飽きない、プロの技である。最後に味見をし、満足のいく作品であることを確認してから、ようやく頂くことが出来る。


本物のコーヒーをじっくり味わいたいなら是非1杯いかかですか?


悪魔の誘惑

「よいコーヒーとは、悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、 愛のように甘い。」シャルル・モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール(1754~1838、仏、政治家)

そんなコーヒーに出会いたくて、自らの感覚だけを信じ、今日も知らないカフェを訪れる。コーヒーに取り憑かれた2人の男、RとMが綴る、88の悪魔の誘惑。

皆さんももう一杯いかがですか?

コーヒーの世界で生きて行くことを決めたR、とある事情により松山で暮らすことになる。コーヒーの修行をするため四国遍路にちなんで、四国に点在する88個の素敵カフェを巡ることにした。

そんなRをひそかに観察する謎の男M、Rを松山に移住させた原因の1人でもある。


このブログはRとMの感覚で選ぶ、独断と偏見たっぷりに厳選したカフェを紹介するととともに、Rが成長してく姿を綴ったブログです。愛媛県は松山市からはじまり、最終的には四国の魅惑のカフェを88個繋げればミッション達成です。二人のやり取りと共に皆様の日常に少しでもワクワクとドキドキをお届けできれば 幸いです。

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