Once upon a time there was this little boy. And the boy has a big dream. Cutting a long story short, he got to Ehime which is in Shikoku area in Japan by his bicycle from Tokyo in the middle of the winter at the end of 2010. It is said that there are 88 pilgrimages in Shikoku and it's pretty popular in Japan. So what he and his mates decided to do first to make one of their dreams come true is to go through all the 88 places and find favorite cafes using his own legs and tongue along the way of the pilgrimage. It names is 88 cafe. It starts on the 29th of January 2011.

2011年5月11日水曜日

四国88カ所お遍路の旅 -No.44-


2011年4月3日 AM7:30

Mはトラディショナルお遍路スタイルを身にまとい44番札所大宝寺の駐車場に降り立った。

札所を目指し山に入ると、お地蔵さんやその類いの石像が無数に現れ、それらは巨木同様苔むしていた。山にある札所はいつもだいたいこうだ。

奥へと進むにつれ、日の当たらないその場所はとても寒く、あたりには鳥の鳴き声、そして金剛杖についた鈴の音だけになった。

巨木のカーブを折れると奥に山門が見えた。

札所にはまずだいたい山門があり仁王像がお遍路を待ち受けている。これが見えると着いたなという気持ちになる。山門の前で一礼し中に入った。

44番札所大宝寺は西暦701年(大宝元年)に百済の僧が草庵を結び十一面観音を安置したことがはじまりとされている。

長い石段が現れた。札所はいつもだいたいこうだ。

2011年5月10日火曜日

四国88カ所お遍路の旅 -old trees-


2011年4月6日 AM6:30

お遍路を2年ぶりに再会することを決めたMは松山から44番札所大宝寺を目指し、国道33号線を愛車ロードスターでひたすら南下していた。

三坂峠を越え、久万スキーランドを横目にしばらくいくと旧久万町のまちが見えてきた。

ガソリンスタンドの分かれ道を左に曲がり、33号線から住宅地を抜ける旧道に入る。

何個目かのなんとなくここっぽい十字路を左に曲がると目の前には突如、ただ者ではない苔むした巨木群が現れ、思わずブレーキを踏んだ。

お遍路をしていて時々感じることだが、札所には気づいてしまうと隠すことが困難であろう独特の雰囲気があるにもかかわらず、うまく周囲にとけ込んでいて、気を抜いていると突如として姿を見せる。

駐車場らしき広場に車を置き、助手席から白衣をとり羽織る。納経帳や納め札、ろうそく、線香、数珠が入った白い肩掛け鞄を肩にかけ、金剛杖を握りしめた。

駐車場には自分以外誰もいなかった。

2011年5月9日月曜日

四国88カ所お遍路の旅 -I will leave when morning comes.-



2011年4月3日 AM6:00


まだ、薄暗い中、Mは松山にある実家を出発した。

2年前に43番札所まで「順打ち」していたため、まずは44番札所大宝寺のある
久万高原町を目指し33号線を南にもどらなければならない

「順打ち」とは四国を時計周りにお参りすることであり、また「逆打ち」とはその逆で、反時計周りにお参りすることである。

44番札所のある久万高原町は旧久万町・面河村・美川村・柳谷村の4か町村が2008年に合併してできたまちで、周囲を標高1000mを超える四国山地に囲まれる。

そもそも「久万」という老女が弘法大師に出会ったことから、その名が地名になったとされており、お遍路とはゆかりの深い地域である。


松山の実家からはおよそ30km、
国道33号線をひたすら上って行くことになる。

Mは集中するためにいつもエンドレスで車に流しているRにもらったロックのCDを消す。

しだいに2年ぶりのあの感覚が蘇ってきた。

2011年5月8日日曜日

四国88カ所お遍路の旅 -epilogue-



2009年3月某日

さかのぼること2年前、まだ大学生であったMr.Mは春休みを利用して四国88カ所お遍路の旅にでることにした。祖母に借りたお遍路の衣装を身にまとい、松山の自宅から愛車ロードスターで1番札所霊山寺のある徳島県鳴門市へと向かった。四国を徳島、高知、愛媛と時計回りに移動し、5日後に愛媛県西予市にある43番札所明石寺でひとまず旅を終えていた。


2011年4月 2年間の沈黙を破り、ついに・・・

2011年3月6日日曜日

cafe 和(なごみ)
















































噂には聞いていた。


メガネの三城の交差点を東に進んで、突き当たりを右に曲がって、ずーっと真っすぐ行くと石垣があって、そこをぐにゃりと左に曲がる。

宇和島に来てもうすぐ1年経つが、こんなところに来るのは初めて

市内より少し小高いところにあるのどかな住宅街にcafe「和(なごみ)」はひっそりと佇んでいた。

店の前には沢山の花が飾っている。

昼過ぎの店内には丸い窓から柔らかい少し傾いた太陽が入ってくる。

空気中の微粒子がゆっくりと彷徨っている。

誰もいない。

ここの時間は普段の何倍にもゆっくり流れている。

土間、板の間、立派な梁、日本建築に必要な物がそこにはある。

違う物と言えば、かまどがあるであろう場所に立派なカウンターとコーヒーを入れる機械が置いてある。

しばらくするとオーナーが出て来た。

もう3時頃だというのにモーニングOKというので、それを注文した。


幸い他にお客さんがいなかったので、オーナーにいろいろと話を聞くことが出来た。

オーナーは定年退職後しばらくは友達と喫茶店でぶらぶらして時間を過ごしていたそうだ。

初めのうちはそれで良かったが、しだいにこれじゃつまらないなと思うようになった。

ふと喫茶店なら自分にも出来るかもしれないと思い立った。

ちょうど家の隣のこの物件が売りに出されていた。

もと酒屋さんだったこの建物は、その昔は鉄砲鍛冶屋だったらしく、とても古くボロボロだった。

建築家の人にこの場所で喫茶店を出来ないかと相談したら、人通りのないこんな場所では流行らないよ辞めときなさいと言われた。

しかし、諦められずいると、若い建築家の人が、「おもしろい、僕がやりましょう。」と手を挙げてくれた。

そうこうしているうちに店はできたけれど、実はコーヒーなど入れたこともなかった。

だからコーヒー教室に何回か通った。

なんとかコーヒーを入れられるようになったけれど、今も詳しくない。

2種類しか置いていないのはそのせいです。

以前お客さんに、「レモンティーを下さい。」と言われ、「置いていません。」と答えた。

レモンティーとは紅茶にレモンを入れる物だと知らなかったのだ。

そんなこともあった。

それでも、もう6年間やっています。

と笑顔で教えてくれた。


店内に沢山飾ってある花々は全てお客さんが持って来てくれるそうだ。

お客さんの8割が同年代らしい。

お客さんに愛されている店。

机の上にはニコリとしたお地蔵さんがある。

ある施設の作家さんの作品だそうだ。

オーナー、建物、花、お地蔵さん、食器・・・全てが優しく、全てがこのゆっくりとした空間を作り出し、来る者を癒してくれる。


癒しが欲しい方、是非1杯いかがですか?

2011年3月1日火曜日

文化交流ヴィラ高橋邸














































友人の部屋に転がっていた1冊の雑誌


何度も読み返したのか、すり減り色あせている。

その存在は以前から知っていたが、手にすることはなかった。

その必要がなかっただけなのか。

それとも自分は他とは違う存在だと思いたかっただけなのか。


旅とは日常からの脱出である。

今まで築き上げて来たものは、心地よさだけではない。

またその心地よさでさえも、時として息苦しさへと変化することがある。

旅とは自由への渇望である。


内子に「文化交流ヴィラ高橋邸」というものがある。

「文化交流」「ヴィラ」「高橋邸」

馴染みの無い単語の複合体である。

内子の古い町並みを眺めながら南にくだり、駅に曲がる角を逆に行く。

すぐに右斜め前に小道がある。

静かに視界が開けると、大きな屋敷が見えてくる。

これが「文化交流ヴィラ高橋邸」である。

 高橋邸とは、遠来の人と時を談じ、文化を語った人高橋吉衡翁の生家であり、日本の麦酒業界の繁栄に貢献し、戦後の経済復興に通産大臣として大きな業績を残した高橋龍太郎翁を育てた屋敷である。

 高橋龍太郎翁の長男故高橋吉隆氏(元アサヒビール株式会社会長)が、郷土である内子町への思いを寄せられていたことから、その御遺族によって寄贈された。

 文化交流ヴィラ「高橋邸」として再生したこの屋敷は、高橋吉衡翁、高橋龍太郎翁の精神を引き継ぎ、遠来の客を迎えるゲストハウスなどとちして利用されている。

 「止談風月無用者可入」(ただ風月を談じるなら、用事がなくても屋敷に入りなさい)という墨書の看板がこの屋敷には掲げられている。


喫茶あります。屋敷に入りなさい。

ここで、珈琲をいただき、愛媛の偉人の魂を感じ、心を昂らせ、日常に帰りなさい。


「るるぶ」

Her name is...


















プルルルルルルル


すばらしい目覚め。最高の朝だ。今日も俺を夢の世界から呼び戻してくれるのは、容赦ない電話の着信音だけで、だいたいそういうのはあいつの仕業だ。


「ついたぞ、出てこい。」


そう、だいたいMだ。夜勤明けの混沌とした鉛のような頭の扉を強引に開けてくる。ノックなしで。というかハンマーでこじ開けてくる。


「これやる。」


結婚式の引き出物がはいっているような大きいサイズの正方形で厚めの紙袋を玄関に置いた。なかには何やら黒いマシンらしき物が入ってる。


「これで修行だ。」


まじかよ。そいつはなんの前触れもなく、俺の前に姿を現した。黒い本体の中央正面にはレバーが付いていて、銀色の光を放っている。その右側には何やらかき混ぜるのが得意そうなこれまた銀色のスティックが付属している。


そう、エスプレッソマシーン


「使わねーから。」


どうやら、エスプレッソ好きのMはどこかでこのエスプレッソマシーンを手に入れたらしいが、自分で作るタイミングを逃したらしく、だんだん飽きて来たようで、要するに俺にコーヒーの修行をさせつつうまいエスプレッソにありつく作戦に出たらしい。



しかも「Saeco」、彼女が出来た。